『シーザーを理解するために 、 シーザーである必要はない。』
私の大好きな押井守監督の映画「イノセンス」から荒巻の一言。
元々はマックス・ウェーバーの著書『理解社会学のカテゴリー』で使われていた言葉ということです。
意味や用法が、わかるようでわからないのですが、大好きな言葉。
意味
本人の気持ちを察して共感するためには、本人そのものでなければならないということはない。寄り添って何かできることがあるだろう。という示唆。(と勝手に理解)
使い方例
仲間に対して「本人ではないのに分からない」と、冷たいというか、淡泊なことを言う部下がいたときに渋く言い放ちましょう。